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タイの基礎知識
タイの基礎知識 基礎知識

外国で暮らす上で、その国の歴史や地理、文化を知ることはとても大切なこと。新たな知識を得ることで、さらにタイのことが好きになり、もっと知りたくなるはずです。まずは、タイを知るための基礎の基礎からご紹介します。

タイ人の国民性

“微笑みの国”と言われるタイの人々。道行く人々とふと目があっただけで、見知らぬ日本人に対してもにっこりと微笑んでくれた経験を持つ人も多いでしょう。
 タイ人を象徴するキーワードは「サバーイ(快適)」と「マイペンライ(大丈夫、心配ない)」だと言われています。これは自由を好み、堅苦しく面倒なことを避ける気質を表していますが、そのいっぽうで穏やかさと寛容さを美徳とし、見知らぬ外国人に対しても笑顔を見せてくれる優しく慈悲深い国民だと言えるでしょう。
 タイは東北部を除き、メコン川がもたらした肥沃な土地と年間を通じて高い気温と降水量にも恵まれ、食料が豊富な国です。そのためか日本では美徳とされる「アリとキリギリス」のような倹約的、または神経質なところがなく、おおらかな国民性です。

 

 

 

 

 

  タイ人の国民性
タイの宗教
タイの宗教    国民の95%が敬虔な仏教徒です。ただし日本の大乗仏教とは違い、上座部仏教(テーラワーダ仏教)を信仰しています。これは「信じる者は救われる」とされるゆるやかな大乗仏教とは違い、227もの戒律を持つ厳しい宗教です。
 仏教徒の男子は、生涯一度は出家することが望ましいとされており、最大の功徳だとされています。
 出家とはいえ、僧侶になる者以外はおおむね1週間から3ヵ月の短期出家。出家は成人男性だけでなく、7歳以上の子どもや女性でもできます。最近は若者の出家が少なくなっているようで、特にバンコクなど首都圏出身者では顕著なようです。
 ただし信仰心が薄れているわけではなく、街のあちこちにある祠を見かけると、手を合わせるという若者も多くいます。
タイの歴史
 中国西南部に住んでいたとされるモン族がタイへやってきたのが紀元前後のこと。9世紀にはチャオプラヤー川流域に王国を築きましたが、11〜12世紀にはアンコール王朝クメール帝国(現在のカンボジア)の支配下に置かれるようになりました。その後、中国南東部からやってきたタイ族が、北部に小国家を形成しはじめます。
 現在のタイの国土にタイ族の国家が形成されたのは13世紀頃のことです。スコータイにおいてタイ族がアンコール王朝を滅ぼすと、そこにタイ族による初の統一国家「スコータイ王国」が誕生しました。第3代のラムカムヘン大王の時代には領土を拡大し、北は現在のラオスから南はシンガポールにまでその勢力を広げていたと言われています。
 また、クメール文字を起源としたタイ文字の制定やセイロン(現在のスリランカ)から伝来した上座部仏教を国教とするなど、現在のタイ王国の基盤が築かれました。
 その後アユタヤ王朝(1351〜1767年)、トンブリー王朝(1768〜1782年)を経て、現在へと続くチャクリー王朝が開かれます。
 なかでも前述のラムカムヘン大王、アユタヤ王朝第21代ナレースワン大王と並び、タイ王朝3大王と称されるチュラロンコーン大王(ラマ5世,1868〜1910年)は中央集権化と近代化を推進し、近代国家としてのタイの礎を築きました。絶対君主制を確立したほか、司法・行政の整備、財政制度を構築し、さらに郵便事業、鉄道、教育制度、軍事制度を改革、また奴隷制度の廃止も果たしました。
 またラマ5世の時代には、東南アジア諸国が欧州列強国の植民地とされたなか、唯一独立を守り通しました。
タイの概要
絶対君主制から立憲君主制へ
 1932(昭和7)年に軍人によるクーデターが起こり、700年にわたって続いた絶対君主制から、立憲君主国となりました。その後、1939(昭和14)年6月24日、国名をそれまで定着していたシャム国から現在の「タイ王国」へと改めました。タイ王国はタイ語で「プラテート・タイ」と言い、これは「自由な国」という意味です。
 そして第2次世界大戦後の1946(昭和21)年6月9日、兄・ラマ8世の急逝を受けてプミポン・アドゥンヤデート殿下がチャクリー王朝9代目の国王(ラマ9世)として即位。1988年7月にはラマ5世の42年22日の在位記録を超え、タイ国王として在位最長記録を更新し、2013年で在位67年となります。
日タイ交流の歴史
 歴史文献によると、日本とタイの交流は17世紀にまで遡るとされています。当時の徳川幕府は朱印船によりアジアの国々と交易を行っていましたが、タイとの交易も盛んに行われており、1604年から1635年にかけて朱印船が56隻到着したという記録が残っています。
 タイではアユタヤ朝の時代に、日本人町が形成され、徳川幕府とアユタヤ朝の間でも献上品や書簡の交換が行われていました。
 日本人町では、頭領だった山田長政がアユタヤ朝のソンタム王から信任を得て、高い官位を与えられたといわれています。最盛期にはおよそ1,500人もの日本人が住んでいたとされていますが、のちに江戸幕府が鎖国政策を始めたことにより、一時両国間の交流は途切れてしまいます。
 18世紀になると欧米列強時代が始まり、アジアは次々と植民地化されていくなか、タイはラマ5世の下、近代国家への変換を進めながら、独立を維持しました。この頃、日本はちょうど明治新政府が樹立。同じく近代国家へ向けた取り組みを進めています。
 そして、両国が正式に国交を結んだのは1887年(明治20年)9月26日、「日暹(にちせん)修好通商に関する宣言」(日タイ修好宣言)です。
 この宣言は、明治政府が初めて東南アジアの国と外交関係を結んだ条約となりました。
日本の皇室とタイの王室
 現在の日タイの緊密な関係は、ともに皇室・王室を持ち、その親密な関わりも大きく関係しているでしょう。
 天皇陛下は1989年1月に即位されたのち、初の外国訪問として1991年9月に皇后陛下とともにタイを訪問されました。また、2006年6月のプミポン国王即位60周年記念式典の際にもタイを訪問されています。
 皇族・王族による往来も多く、秋篠宮殿下は公式、非公式ともに頻繁にタイを訪問されており、国王陛下、王妃陛下は、秋篠宮殿下を我が子と同様であるとして、非常に懇意にされています。
 秋篠宮殿下は2003年8月にはウボンラーチャターニー大学から名誉博士号を授与された際、妃殿下とお2人の内親王殿下とともにタイを御訪問になりました。これは両内親王殿下にとって初めての外国御訪問となりました。この際、シリキット王妃陛下の誕生日を祝うチャリティコンサートにも列席されています。
 さらに秋篠宮殿下は、シリントーン王女殿下との共同プロジェクトを学術書として出版されています。
 秋篠宮殿下は、ニワトリの起源と家畜化の研究で博士号を取得され、科学や環境、文化など幅広い分野に造詣が深いシリントーン王女殿下と意気投合されました。その後、共同研究が始まり、このプロジェクトはシリントーン王女殿下が名誉総裁となられ、秋篠宮殿下は研究統括を務められています。
 タイの王室と日本の皇室ではその意義、役割は異なっていますが、王室に対する尊敬の念を持つタイの人々にとって、同じように皇室に対して敬意を持つ日本人は共感できる面も多いのでしょう。
 これは日本人から見ても、タイ人の王室に対する敬愛の心情が理解できるのと同じで、ともに相通じるものがあるのかもしれません。
バンコクの正式名称
バンコクの概要
タイは重要なパートナー
 2011年3月に起こった東日本大震災で、タイ政府は2億バーツの支援を行いました。これは、かつてスマトラ沖地震でプーケットなどが被害を受けた際に日本政府が5億ドルの無償供与を行ったことに対する感謝の想いが強く、両国がいかに重要なパートナーであるかを象徴しています。
 2012年の貿易状況をみると、タイの対日輸出額は240億7,000万ドル(前年比17%増)で、対日輸入額は421億6,400万ドル(前年比11%増)。タイは日本から経済的な恩恵を受けていることがわかります。(2012年12月/日本貿易振興機構(ジェトロ))
 日本から見てもタイは東南アジアにおける重要な生産拠点であり、また近年の経済成長に伴い、大きな市場へ成長したといえます。
 日本企業の進出数も着実に増加しており、特に1985年のプラザ合意以降の円高による投資ブームやその後の経済のグローバル化によってさらに急増しました。
 盤谷日本人商工会議所(JCC)の加盟企業数は1985年4月時点の394社から、バブル経済時代の1989年には696社と急増し、さらに2013年4月現在で1,458社に上り、在外日本人商工会議所としては世界最大の規模を誇っています。
 さらに日本は、タイの経済発展に必要なさまざまインフラ整備のために、二国間政府開発援助(ODA)を行ってきました。日本のタイにおけるプロジェクトは08年度までの借款契約ベースで累計2兆1,702億円に上ります。
 これらはバンコク都の上水道配水網改善事業や高速道路整備事業、チャオプラヤー川下流の橋梁建設・修復や貧困地域の小規模農家や農協への低利融資制度への援助、バンコク地下鉄建設事業などに生かされています。
 今後はタイの経済発展を踏まえ、これまでの援助国と被援助国の関係からさらに発展し、経済協力のための新しいパートナーシップを構築する時代を迎えています。
  タイは重要なパートナー
タイの政治
タイの政治    タイの政治は議会制民主主義で元老院(上院)と人民代表院(下院)による二院制となっています。上院は150議席(76名は選挙、残り74名は任命による)・任期6年、下院480議席(うち中選挙区400、比例区80)・任期4年。首相は必ず下院議員から選出すると決められています。上院には解散がなく、また法律発案権もありません。下院は首相が助言し、国王により解散が命じられます。
司法制度
 民事・刑事訴訟を扱う司法裁判所のほかに、憲法問題を扱う憲法裁判所、行政訴訟を扱う行政裁判所、軍事訴訟を扱う軍事裁判所があります。司法裁判所は第一審司法裁判所、控訴司法裁判所および最高司法裁判所があり、日本と同じく三審制となっています。
行政制度
タイは首都のバンコク都のほかに76のチャンワットという国による行政区があり、これは日本における「県」にあたります。チャンワットの下部には郡、行政区、村などがあります。
 タイの地方行政は、国家主導の地方行政と、地方自治体による行政の二つが混在しています。国家主導の地方行政とは、地方行政とはいえ実際は中央政府の支配下にあり、中央省庁→県→郡→行政区→村という系列になっています。県知事や郡長などの首長も、選挙で選ばれた政治家ではなく、内務省から派遣されている国家公務員です。つまり県や郡は国家の出先機関ということです。また、選挙が行われている自治体であっても、政府の管轄下に置かれている行政区や村は、実質的には政府の支配下にあるとみなされています。
 これらの県(チャンワット)はバンコク都を含め77のチャンワットとされることが多いようですが、バンコクだけはほかの行政区とは違い、首都機能を持つ特別な自治体であり、50のケートがあります。ケートは東京都における23区のような特別行政単位です。またパタヤ特別市は行政事務の面からみると自治市町に近い存在ですが、独自のシティ・マネジャー制を採用していて、組織の面ではほかの自治体と大きく異なっています。
  行政制度